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建てては崩す日々

思ったことや心にもないことをボンヤリ綴る日記です。

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秋の夜長に思考の迷宮で迷子になる病人。

※注
 mixiの日記を書いたら、なんだかこちのブログ向けのないようになってしまったので転載しました。
 普段と一人称及びテンションが異なるのは無視してください。



 ハッハァッ!

 ちゃんと症状に合った薬を用法用量を守って服用したら、ほんの数時間ほど眠っただけで嘘みたいに楽になったぜ!
 ビバ! 薬の効きやすい俺の体質!
 まだ鼻の奥が焼け付きようにヒリヒリしてて息苦しいのは秘密だよ!



 だがしかし、深夜も二時を回ると暇だねぇ。
 テレビも興味のない番組しかやってねぇよ。

 プロレスでもやってりゃいい暇つぶしになるんだけれども、よくわからん海外のドラマとか、深夜アニメしかやってねぇや。

 仕方がないのでニコニコ動画でもチェックしてみると、初音ミクに『コンピューターおばあちゃん』を歌わせた動画がランクインしてたんで聴いてみた。

 するとなんでだろう……なんだかなきそうになった。
 不覚にも、おばあちゃんを大事にしたくなってしまった。

 機械の声なのに!

 結構有名だし、この日記を読む人にはわざわざ初音ミクの説明をする必要なんざないでしょうが、念のために説明しときましょう。
 『初音ミク』ってのは、ようはプログラムのことで、楽譜と歌詞を入力すると萌え系ボイスで曲を歌ってくれるらしいです。マクロスプラスのシャロン・アップルみたいなもんだと思えば概ねOKだと思います。さすが戦闘機をハッキングしたりは出来ないみたいですが。
 
 まぁ、説明はこんなところでいいでしょう。俺ってば基本ローテク人間なんで、かなりおざなりになってますが、そのあたりは勘弁してつかぁーさいね。

 さて、そんな機械の歌。
 一応声のサンプルは生身の人間なんだそうですが、旋律や声の繋ぎはあくまでプログラムによって再現しているわけですから、機械の歌といっても過言ではないでしょう。
 その機械の歌なのに、なぜだかたまにハッとさせられてしまう時があります。マシーンなのに。

 音楽やってる友人に言わせれば、優れた曲ってのは楽譜にかかれた段階で人を感動させられるそうですが、それにつけても『コンピューターおばあちゃん』で感動かよ……。
 ……いや、あれはあれでいい曲ですがね。

 しっかし、おそろしいですねえ。

 以前友人と初音ミクについて話した時、
「このまま化学が進歩したら、初音ミクみたいに歌うだけじゃなく、それこそ小説を書いちゃうようなプログラムが開発されるんじゃね?」
 なんてことを言ったことがあります。
 友人は、
「そこまでは無理やろ~」
 って、一笑に付してくれましたが、百年前には機械が初音ミクのように自然な歌を歌えるようになるなんて誰も想像だにしなかったわけですよね? 
 ということは、百年後にコンピュータが人間の領分である『創造的な活動』をモノにしていてもおかしくないんじゃないか、と思うのは俺の考えすぎなんでしょうか?

 いや、そもそも充分な演算能力さえあれば、小説を書くくらい機械でもわけないと俺は思います。

 ようはパターンですよ。パターン。

 あらゆる小説をコンピュータに記録して場面ごとにパターンのデータベースを作ることが出来れば、あとは人間が入力したプロットに応じてコンピュータが適当なパターンをチョイスしてくれる……この程度なら今の技術でもどうにかこうにか実現出来ちゃいそうな気がします。

 もっとも膨大な数に及ぶ小説のパターンをデータベース化するのは物凄いしんどそうですし、そもそもどういう基準で小説のパターンを決めるのかすら俺にはちっともわかりませんけどねぇ。
 
 そもそも、完全にロジックによって構成された文章が人間を感動させることが出来るのかって疑問もあります。

 確かに人間はパターンに弱い。

 これまた音楽やってる友人の受け売りですが、最近のヒット曲のコード進行を調べると、クラシックの名曲と同じだったりすることが結構あるんだそうです。

 つまり人を感動させるパターンは数百年前からさしたる変わりはない。
 
 これは何も音楽だけの話じゃなくて小説にもいえることで、いわゆるお約束、王道、つまるところベタってのは一番手っ取り早く人を感動させられる手段だし、物語のパターンが神話と昔話でその殆んどが出揃っているなんて話は、この日記を読んでる人には今さら説明する必要もないでしょう。

 パターンを積み重ねればそれなりの作品を作れる。
 これは多分間違いないでしょう。
 少なくともある程度は様になる作品になるはずです。

 では、それで感動できる作品になるのか?

 これは微妙なところですね。

 昔の作品。小説でも、映画でも、アニメでもなんでもいいので見てみると、その展開はかなり唐突です。ものすごいスピードで話が進んでいきます。
 これを俺なりに考えてみたところ、パターンの分化が原因ではないかと思い当たりました。

 今の作品のパターンはとても雑多です。

 例えばキャラクター。
 ツンデレのキャラクターを作品に出すならば、そのキャラの容姿、性格、言動、行動、事件に至るまでを描写して説明しなければいけません。そうしないと受け手側がそのキャラをツンデレキャラとは認識できなくなるのからです。
 もし、そのツンデレキャラがメインキャラならば、それらの要素を旨いことストーリーの本筋に絡めて描くことは充分可能だと思いますが、では脇役ならどうでしょうか?
 きっとキャラクターのキャラクター付けのために結構な量のページ数を割かなくてはなりません。

 つまり作品のベタな部分がベタであることの説明をしなくてはならないため、現在ではパターンのなかにパターンを内包することになってしまったわけです。
 それは、ある意味では作品に必要のない不純物であり、過去の作品群には存在し得なかった増えすぎたパターンともいえます。

 そんな増えすぎたパターン。

 俺は、そこにこそ現在の作品の面白さを決定付ける要因があると考えます。

 ツンデレキャラひとつ取ったって内包するパターンは様々です。
 幼さを前面に押し出したロリキャラのツンデレと、いいとこのお嬢様系ツンデレでは同じツンデレでも天と地の差があり、同じようなプロットを使っていようと出来上がる作品は全く印象が異なってしまいます。

 どのようなパターン内包させて作品を書くのか。

 その選択こそが作品の決定的な面白さ、ひいては感動できるか否かに関わってくるのだとおもいます。

 現状、そういった全てのチョイスの決定は人間のセンス頼りです。

 何をチョイスするか。
 簡単な様でいて、これほど難しいことはありません。

 いってしまえば、ただ言葉を綴るだけでチョイスの機会は発生します。
 若者向けの作品を書くのに、中年向けの言葉をチョイスしていたら、それは作品全体のバランスを崩すことにほかなりませんからね。

 もしどうしても中年向けの言葉使いをしたいのであるならば、それに応じて文体を変える必要がありますし、文体が変われば細かなシーンの構成が変わります。構成が変われば展開だって変わるわけで、展開が変われば設定を弄る必要があります。その結果、作品そのものが変質してしまうでしょう。

 どこまでがパターンの揺らぎとして許容範囲で、どこまでがそうではないのか。その判断をしつつも様々なパターンを盛り込んでいくのは至難の業で、そのバランス感覚こそをセンスと呼ぶのだと思います。

 そのセンスすらもデータベース化できるのならば、コンピュータが執筆した作品でも感動できると俺は思うのですが、さて、センスってどうやってデータベース化するんでしょうねぇ?

 単にデータベースの細分化を繰り返していけばその過程で数値化できるものなのか、あるいはデータベース化とは全く別次元の話なのか、はたまたセンスなんぞただの夢物語で俺が信じたいだけなのか。
 今の俺には判断つきません。

 なんだか考えれば考えるほどよくわからなくなってきます。

 だからこそ、パターンだけで構成されたロジック仕立ての作品で感動できるか否かの判断は、微妙なのです。
 
 
 ただ、どちらにしろ、多分俺が死んだ後の、今から百年以上経った未来ならば、文明の発展とともに実践としてその程度の答えは出てるでしょうね。

 だったら、これは俺の考えることじゃない。

 俺が考えるべきは、答えが俺の人生を豊かにしてくれるであろう問題だけです。バカの壁の養老孟司じゃないですが、死んだ後の話なんぞ知ったこっちゃないのです。

 人生有限。
 みなさんも、思考は有意義に使いましょうね!

 ……俺はちょっと無駄使いしすぎだけどさ。 
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