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建てては崩す日々

思ったことや心にもないことをボンヤリ綴る日記です。

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しかたがないので残った具は今日の昼飯に野菜と一緒に炒めました。

 お昼にブログ更新。

 疲れた時は雑文を書くに限るのです。
 たとえ、その疲れが文章を書いたことで生じていたとしても。

 

 さて、昨日は疲れてたので晩飯をコンビニ弁当にしたのですよ。

 んで、精が付く物を食おうと焼肉弁当を食ったのですが……残してしまいました……。
 ……っうぷ!

 なんかねぇ~、コンビニ弁当の節操の無い油が胃にくるのです。

 リアルで俺と何回も食事に行ってる人はご存知でしょうが、俺って油ギッシュな食い物って苦手なんですよ。焼肉とかいくと、シイタケとかがメインです。まぁ、名古屋出てきてから焼肉なんて数えるほどしか行ってないけどね。しかも一番最近行ったのは後輩がパチンコで勝って奢ってくれた時だったり。大分前だなぁ~。久々の肉だったんで頑張って美味しく頂きましたけどね。

 そんなわけなんで、もし僕に何かを奢ってくれるような状況になったら、焼肉よりも寿司がいいです。

 寿司ぷり~ず!
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TU・NA・MI・DA☆ZE!

 ふぅ~……疲れ気味です。

 作業がなかなかうまくいかなくて、四苦八苦しとります。

 気がついたら原稿用紙換算で二百枚近い文章を打ち込んでたりしてて、指の関節が意識しなくてもボキボキと、ボッキボッキと音を立てやがります。

 今やってる作業に学院時代のあれこれが活かせないわけではないのですが。ただ、基本的に僕ってあんまり器用じゃないので、幾度も失敗を繰り返さないとその活用法が見えてこないんです。

 我ながら難儀なもんです。

 学院時代は基本的に予習復習をやってたんで同級生に偉そげな発言できてましたが、本当のところ想定外の事態にはこんなにも弱いのですよ。ぎゃーす。

 いったい応用力って奴はどうやったら身につくんでしょうねぇ?

 今まで生きてきて、自分があんまり能力高くない事は身にしみて解っていたんで、出来る限り予習をやってきました。授業なんかは教科書とか予定表見りゃ先のこと判るんで、ぶっちゃけ応用力なんざ必要ないですからねぇ。でも、やっぱ本当に必要なのは先の見えない中での応用力じゃないですか。その力さえ身につけば怖いものなしなのになぁ。

 正直、今の状況は先が読めなくて大変です。

 バイトのようなものを始める時、最初はかなり軽い気持ちだったんですよ。学院時代にどういうことが出来るようになっていたのかはある程度把握していたんで、その能力内でどうにかなるだろうって。

 ところが話はとんとん拍子に進んでいき、瞬く間に状況は想定を大幅に超えることに……。余力を残しながら進めたかった作業は、全力を出さなければどうにもならなそうな難題になってました。

 まるで津波にさらわれてるような感じです。そこまで事態が大きくなると、どんなに波を読んでも読みきれない……。サーフボードにしがみ付くだけで精一杯です。

 果たして僕は浜辺に戻れるのでしょうか?

 下手すりゃ戻ってきた波に巻き込まれて大洋を漂うことになりかねませんが、はてさて。

 でもまぁ、今の波をなんとか乗りこなせたら、きっと物凄く気持ちいいんでしょうねぇ。

 どうせ体験するなら俄然後者ですね。ぐへへ。

 
 

 
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倒れたって何度でも立ち上がればいいのさ。

 ふぅ~……。

 バイトのようなものの作業がなかなかにしんどいです。

 何がしんどいかってーと、学院で習わなかったことをするのがしんどい。

 昨日書いたように、学院で学んだことは現在の作業にかなり応用できます。

 しかし、今回は前回までと違って、より小説とは異なる部分を求められているのです。

 もちろん、2年間学んだことの応用は利きます。

 利きますが、その度合いは著しく下がってしまいました。

 やってやれないことは無いんですが、だからこそ僕自身の地力が試されてるみたいで…………俄然やる気が出てきました。



 昔から僕ってテストとか好きだったんですよね。

 勉強が好きなんじゃなくて、テストが。

 あの試されてる感が堪らなくワクワクします。

 試されてるってことは、相手に見下されてることと同じだと思うんですよ。

 それってムカつきますよね?

 だから僕は相手の鼻を明かしたくなるんです。



 我ながら無闇な反発心だなぁと呆れますが、それが向上心に繋がってるんなら大いに結構ですよね。

 この反発心が下手に暴力とか、イカサマといった脇道にそれちゃうとマイナスですが、正攻法で立ち向かってるうちはやる気の源になるんですから間違いなくプラスでしょう。

 むしろ、反発心を抱けない時。打ちひしがれてしまった状態。これは本気でまずいですよね。

 ぶっちゃけ、今の作業に取り掛かる前、二度ほどテストのようなものを受けてるんですが、途中何度かその手前まで行きそうになりましたよ。

 数度の打ち合わせで、今でこそ学院時代の教えを応用していけばいいのだと確信が持てていますが、その時は作業が順調に進んでいても、いまいちそれでいいのか判らなかったんですよ。



 そんな自分を信じられなくて打ちひしがれそうになった時、皆さんはどうするでしょうか?



 僕はこういう時、必ずあるネット小説を読んでいます。

 その小説は、数年前に僕がネット上で発見した、有名でもなんでもないドマイナーな作品なのですが、作者が素人であることが信じられないくらい出来が物凄くいいんですよ。

 当時はネット小説出身の作家が話題になっていた時期でした。滝本竜彦とか、米澤穂信とかですね。

 なもんで、僕は情報収集としてネット小説を読み漁っていました。多分、ショートショートクラスの短い作品まで数えれば数百作品は読んだと思います。

 そんななかで僕が知ったのは、ツマラナイ作品になればなるほど没個性化が進んでいるということでした。

 例えば判りやすいのは二次創作系の作品です。
 人気キャラには、大抵幾つか定番のネタがあって、どれもこれもその定番のネタを中心に描いているんですね。
 もちろん、文章力には個人個人で確たる差があるので、それこそ台詞の羅列しかないような作品もあれば、見事な流れで僕をあっと言わせてくれるような作品もありました。ただ、殆んどの作品が首を傾げたくなるような出来だったように思います。

 結局、テーマじゃなくて、キャラクターとシチュエーションを書くことに終始しているって感じでした。その傾向はオリジナル作品でも確実にあって、特殊な設定やらが出てきてもそれをストーリーに絡めようとはしてないんです。

 ネット小説は商業小説よりも自由ですが、結局それゆえに束縛がきついんですよね。

 例えば、TSというジャンルがあります。
 TSとはトランス・セクシャルの略で、簡単に説明すると主人公が科学的、超自然的な力で性別が変わってしまうという特殊な状況に特化したジャンルです。特殊な設定ではありますが、この性転換という設定は『らんま1/2』という有名作も生み出してますし、『転校生』といういわゆる入れ替わりモノも含みます。それどころか1話完結のギャグマンガなどでは、1話限りのネタとして割と頻出してもいます。ある意味、記憶喪失並みにメジャーな設定です。

 そのTSに特化した小説投稿サイトがあるのですが、そこは正に没個性の極みでした。

 主人公が目覚めるとなぜか女の子になっている。
 そして主人公には決まって娘や姉妹がほしかったという家族がいて、服の準備や女性特有のあれこれについてのフォローを完璧にやってくれる。
 最終的に主人公は女性として生きて行くことを受け入れる。

 殆んどの作品がこんな調子でした。

 どう考えても不自然ですよね。

 性別が変わる。そんな大事件なのに殆んど苦悩しない主人公は人間としておかし過ぎるでしょう。いくら展開の進め方が巧かろうと、女性化の謎が秀逸だろうと、その不自然さが僕にはどうしても引っかかってしまいました。

 そのサイトにおいて僕が面白いと思った作品は、どれもこれも上記のTS小説の定番を外したものばかりだったのを憶えています。

 なかでも、ある作品には強く惹かれました。

 その作品の主人公は、女性化に拒絶反応を示します。しかもただの拒絶ではなく、一時は発狂しかかるほどの強い拒絶をです。
 それだけでも十分にセオリー破りなのですが、ではどうして作者はセオリーを破れたのか。

 その答えは作品の後半にありました。

 一時は発狂寸前にまでおちいった主人公です。日常生活すら覚束ないのに、その他多くの作品のようにすんなりと女性としての人生を謳歌できるはずがありません。ゆえにこの作品では恋愛ではなく友愛がテーマになっていて、家族や友人の助けによって立ち直り、主人公が最低限人並みの生活が出来るようになるまでが描かれていました。そのテーマこそが、きっと作者にセオリー破りをさせた理由なのでしょう。

 そして、すごいのはそれだけではありませんでした。
 いちいち描写が素晴らしいんですよ。バスケットコートで、男だった頃には出来たダンクシュートが女になって出来なくなったことを知り、過去と現在が決定的に断絶してしまったことを実感して打ちひしがれる主人公。その時の内面描写には読んでいて胸に熱くこみ上げるものがありました。そして、そんな主人公を助ける友人たちの描写にも。

 作品の完成度もさることながら、苦悩しながら生きていく主人公の様は、はっきりいって僕の書きたい作品の理想でもありました。

 だから、僕は打ちひしがれそうになった時は、その作品を読みます。

 自分の理想を再確認するために。
 理想は存在しているのだと、確信するために。

 そして、その作品をいつか越えるべき壁として設定し、無理矢理にでも反発心を燃え上がらせるのです。



 多分後数年は、この作品を超えられないでしょう。

 しかし、残念に思う必要は皆無です。

 だって、少なくとも後数年間、僕は頑張れるってことですからね。
 
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実感って何かやらないと得られないからなぁ~。

 疲れた。

 ここ一月ほどバイトのようなものをしてるわけですが、今日はそれの打ち合わせでした。

 打ち合わせ自体は別にいいんですよ。

 今回でもう三度目なんで大分慣れましたし、打ち合わせの内容自体も面白かったですしね。

 しいて問題をあげるとするならば、家から打ち合わせ先まで片道およそ一時間かかるということですか。

 まぁ、学院時代も似たようなものでしたが、旨いこと通勤通学ラッシュから外れてた当時と違って、今日の帰宅時はもろラッシュに遭遇。

 なもんで、非常に疲れました。



 それはともかく、そのバイトのようなものでちょっとした作業をやってるんですが、しみじみ感じるのは学院時代に学んだことがかなり役に立っているということですね。

 とりあえず基礎的なことは身に付いているので、なれないことでも応用を利かしてやれば、なんとか形に出来るんですよね。

 2年間で力がついていることは判っていましたが、こうやってそれを実感できるのはなかなかに爽快です。

 しかも、ただ実感できるだけではなく、あの時習ったあれはこういうときに使えばいいんだ、と新しい発見まである始末。

 素晴らしいですねぇ~。

 ほんと素晴らしいですねぇ~。

 ただ、一応仕事なので〆切があります。

 それがどうも週末。というか土日に被りまくりそうなので、12月はサークル活動に参加できるかどうか怪しくなってきました。

 ……まいったなぁ。
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発見と欠点

 最近発見したのですが、床にノーパソ置いて執筆すると肩がこらないですね。

 なんでも肩こりは、肩の裏にある筋肉の疲労が原因なんだそうです。

 長時間腕を上げる体勢を続ける――つまり、デスクワークなどをやると、肩こりの原因となる部位に負担がかかり、肩がこる、ということらしいです。

 ということは、床にノーパソを置くなど、作業位置そのものを低くしちまえば腕はだらりと垂れ下がり、肩にはあまり負担がかからないのです!

 ただまぁ、今度は腰が痛くなりますけどね。

 ……とほほ。
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そんなの関係ねぇ!は流行する。

 はぁ、もう日曜、っていうか月曜だ……。

 なれない事をするとほんと時間が過ぎるの早いなぁ。



 というか、なんだこの寒さは?

 お約束のように体調崩したぜ、俺は。
 しかも一番大変な時期にな。

 あーあ、ほんと機械の体が欲しいぜ。ったくよぅ。

 全身義体とは言わないから、せめて心肺機能だけでもなんとかならんかなぁ~。
 あ~、でもバトーさんも心肺機能を義体化すると歯止めがきかなくなるって言ってたからやっぱいいや。機械と人の狭間でアイデンティティに苦しむなんざまっぴらですしね。


 そういや今さらながらイノセンスの感想ですが、あれって仮想と現実の入り混じる世界でいろんなことを悩みながら生きてく登場人物を通して、つまるところ仮想とか現実とかそんなの関係ねぇ! って感じのことを言ってたんだと思うんだけど、確かにそんなの関係ねぇって感じだよね。まぁイノセンスは面白かったけど。

 そう、この世には悩んでもどうしようもないことが盛りだくさんなのだ。

 いわゆる赤色は誰が見ても赤色なのかって問題と同じ。

 自分が見ている赤色は、ほかの人が見ても赤色なのかなんって考えたところで判るわけがねぇ。多分幽霊にでもなって他人に憑依合体でもしないとわかんねぇから、絶対。

 この世にはそういうネタって多くて、例えばこの世界は誰かが見ている夢なんじゃないかというネタ。

 もしそうだったとしてお前はどうすんのさって話しだよね。

 この世界が誰かの夢で、そいつが目覚めたら世界が消えてしまう!

 ……そんな驚くこっちゃねぇよね。

 だって、地球が爆発したら世界は終わるんだよ?

 巨大隕石が降っても、核戦争がおきても、太陽が急激に成長しても世界は終わる。

 だって世界って認識じゃん?

 死んだらおれの世界はそこでハイ、オシマイ。

 日本が沈没しても、テポドンが飛んできても、車に惹かれても。結果が同じ死亡なら大差ないっしょ。

 そんなもん、創作物のキャラクターでもない限り別に悩む必要はない事だわさ。

 でもねぇ~、創作物のネタとしてはそういった考える必要のないネタの方が受けいいんだよねぇ~。押井作品とかハルヒとかさ。

 なんでだろうね?

 なんとなくわかるんだけど、言語するのがめんどくさいじぇい。

 気が向いたら続きを書くとして、ほんじゃまおやすみ~。 
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罪悪感を抱くには、まず罪を罪だと認識する必要があるんだろうなぁ。

 近ごろ執筆中などにニコニコ動画で音楽を再生しながら作業するのがマイブームです。

 主に聞くのはバーチャロンとかバーチャファイターとか昔やってたゲームのBGM集。

 懐かしいのはもちろんですが、やりこんだゲームのBGMだと集中力が増して非常に良い感じ。当時はその曲を聞きながら激戦を繰り広げていたわけですから、半ば条件反射ですね。

 最初は90年代のアニソンを聞いてたんですが、これはほんと失敗でしたよ。

 ゲームのBGMと同じく懐かしいっちゃ懐かしいんですがね、聞いてるうちに、あれ? このアニメの結末ってどうなったんだっけ?、という風に気が散っちゃって。おまけに高確率でエヴァの曲が入ってるんで定期的にトラウマ発動。もう、執筆どころじゃありませんよ。ぎゃ-す!

 しかし、便利な世の中になったもんですね。

 ニコニコ動画やYOUTUBEといった動画投稿サイトのおかげで、絶版や非ソフト化といった理由で今じゃもう見れないような昔の作品が見れるんですからね。ガリバーボーイとか、ほんと懐かしすぎですよ。

 でも、おかげでアニメ業界は大変でしょうねぇ。

 現在のアニメ業界がDVD売り上げでどうにかこうにかやっているのはわざわざ説明するまでもないでしょう。

 それゆえ、アニメDVDには購入特典として新規映像がついたりしているわけですが、そういった映像まで動画投稿サイトにはUPされています。こんなんじゃDVDの売り上げは下がる一方でしょうねぇ。

 とはいえ、俺も動画投稿サイトの恩恵に与っている身。一応、レンタルできるような作品や、現在放送中のアニメの本編は見ないようにしています。でも、そんなのなんの言い訳にもならないですよね。現に見ちゃってんですから。

 でも、こういう気持ちってわすれちゃいけないと思うんですよね。

 人間楽な方に流されがちで、気を抜いちゃうとダメな方向に転がり落ちてしまいます。だからこそ、今やっている行動がダメかどうかを自覚して、きちんと罪悪感を持つ必要があるんです。そういう些細な罪悪感の有無が決定的なところで進む道を誤らないための楔になるんだと思います。

 ……もっとも、世の中にはそもそもネットで動画を違法ダウンロードすることを罪だとすら自覚してない輩も多いでしょう。

 今でこそ僕は罪悪感を抱けてますが、小中学生の頃に抱けたかと聞かれると、正直抱けなかったでしょう。ぶっちゃけ、罪悪感を抱くようになったのは、自分も創作をするからです。だからこそ、丹精込めて作り上げた作品を受け取る以上、それ相応の対価を製作者に支払わなければ申し訳ないと感じることが出来る。しかし創作しない多くの人にとっては製作者側になんのロイヤリティも支払われないことの無作法さなんて意識してないでしょう。動画投稿サイトなんて格安のレンタル店くらいにしか考えてないでしょうね。

 ちょっと前のニュースですが、ハリウッドの脚本家たちがストライキしたそうですね。実に羨ましい。こんなことは、アメリカのようにクリエーターの権利が確立されているからこそ出来ることです。正直、日本じまだそのレベルには程遠い。

 社会に著作権を守る気がなく、市民も著作権の侵害をなんとも思わないならば、いつかソフトメディアは死んじゃうように思います。早いところその辺りの法整備をしてほしいと素人ながらに思うわけですが、はてさて、いったいいつになるのやら。
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自分のことは棚に上げる。これが大人になるということさ……。

 世界一受けたい授業で『プレヒストリックパーク』が取上げられた。

 プレヒストリックパークはイギリスが製作した科学番組だ。

 時間移動が実現した近未来で、科学者たちが絶滅した太古の生物たちを集めた夢の動物園を作ろうと奮闘する物語で、時間移動で過去の地球の環境を、飼育によって生物たちの生態を、わかりやすく解説したなかなかに面白い番組だ。日本でも吹き替え版がNHKでやっていた。

 その番組が、なんでも本国イギリスでは視聴率30%を超えるほどの人気を博したらしい。

 ……まったく、ふがいないなぁ。日本は、まったく。

 世界一受けたい授業はいい番組だと思う。
 いい番組だとは思うのだが、一度の放送で三種類の学問を取り扱うという番組構成上、所詮はダイジェスト版に過ぎないのが実情だと思う。どこまでいってもお手軽でしかないのだ。ひとつの学問だけを取り扱うプレヒストリックパークとは、その情報の深さにはとても敵わないだろう。

 別にお手軽なのが悪いとはいわない。

 興味のない情報を長々と説明されることほど苦痛なことはないし、あくまで入り口だと考えればお手軽も大いに結構だ。

 しかし、日本ではお手軽な入門編ばかりが目立つ。専門書なら無数にあるが、その間の中級者向けがごっそり抜けてしまっている。結局のところ、日本人は学門について、知ってたら自分を賢いとアピールできるウンチクと同程度にしか見ていないのだ。それはちょっと前に流行ったウンチク本を見れば明らかだろう。

 そんなのが日本の現状なのだと思うと、なんだか情けなくなってくる。

 僕は割りと科学番組やらその手の新書を観たり読んだりする方で、どうやらそれはマイノリティに属する行動らしいが、なんでなんだろう?

 今の世界が科学を始めとした学問の上に成り立っていることなんて自明の理じゃないか。ならば学問を知るってことは世界を知ることだろおう。なのに、なぜこんなにも多くの人がダイジェスト版で満足してそれっきり無関心でいられるのか。正直、僕にはそれがわからない。

 別に僕は、どこまでも学問を追い求めるべし、なんて無茶なことをいっているわけではない。
 第一、僕だって人より少しだけ積極的に本やテレビから情報を集めているというだけでしかないのだから、学者連中に言わせればそこらの素人扱いだろう。

 問題は、無関心なのだ。

 なぜ感心を抱かないのか?
 それこそが僕の疑問の本質だろう。

 感心を抱かなくても、確かに生きてはいけるだろう。

 しかし、人間そこまでバカな奴ばかりかというと、そうでもない。

 そのいい例が、いわゆる自分探しをする若者って奴らだ。

 何事にも感心を持って生きていれば、自然とやりたいことなんて見つかるもんだ。それなのに、いい歳をして自分探しをするというのは、それはもう無関心に生きてきた事に対する報いにすぎない。

 だから焦って見聞を広げようと旅立つのだろうけれど、そんなことするくらいなら学問を調べればいいのだ。自分がどういう世界に住んでいたのかを知れば、おのずと自分なんて見つかるだろう。

 そういったことが解らずに、むざむざ若者が紛争地帯で犠牲になる日本の現代社会。

 ほんとふがいない。


 
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文章って難しいよね

 前回はmixiで書いてる日記の転載だったわけですが、それにつけても原稿用紙換算で13枚。ちと長すぎますね。

 このブログを携帯から読んでいる人にとっては、さぞや読むのが面倒だったかと思います。

 まぁ、止めろといわれても止める気はあんまりないんですけどね。
 むしろ 気分がノればもっと長い文章を書いちゃいそうです。

 いや~、しっかし、パソコン入力は楽ですねぇ~。

 携帯で原稿用紙13枚分の文章を書くとなると、単純に打ち込んでる時間だけで三時間ぐらいかかっちゃいます。無論、頭の中で文章を練る時間を含めればそれ以上の時間がかかるわけですから、多分、書いてる途中で疲れ果てちゃいますよね。

 実際、携帯でブログを更新してた時は苦難の連続でした。

 携帯更新の頃から長文気味ではありましたが、携帯更新には2千文字という制限があったので常にそれを念頭に入れて書かなければいけませんでした。

 この制限ってのがかなり面倒で、千五百文字ほど打ち込んだところで、そのままだと制限字数内に収まらないことが発覚し、泣く泣く文章を削ったことが何度あったことか。

 おまけに携帯更新の弊害はそれだけじゃありません。

 携帯の記憶容量じゃ、文字入力画面からちょっと移動しただけで書いた文章がおじゃんになります。

 ほんのちょっとのキー操作ミスで千文字近くがパー。

 たかが千文字程度書き直せばいいじゃないかと思うかもしれませんが、携帯で千文字入力するのにかかる労力はパソコン入力時のものとは比べ物になりません。それが一瞬で消失してしまうのですから、モチベーションはガタ下がりです。おかげでどれだけの記事がお蔵入りになったことか……。

 そういうわけで、今はちょと浮かれてるのかもしれませんね。

 パソコンからなら、ちょっとやそっとじゃ制限文字数は超えませんし、入力速度も速いし、画面も見やすいし……。

 もちろん、パソコン入力もパソコン入力なりに気を使うところもありますが(前々回参照)、そんなもの携帯入力の多大なるストレスに比べれば無いも同然です。

 ですが、だからといってむやみやたらに長文を書くだけではあまりに情けありません。

 長文を書くのなら、分かり易く、読み易い文章を心がけなければ。

 前回の13枚はちょいと雑すぎました。

 だって心赴くままに書き殴っただけなんですもん。

 まともな誤字脱字チェックも推敲も一切無し。
 こんなんじゃ、小説の文体にも悪影響が出るのは明らかです。

 そういうわけなんで、僕が読みにくい長文を書いたときは気軽に指摘してくださいね♪
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秋の夜長に思考の迷宮で迷子になる病人。

※注
 mixiの日記を書いたら、なんだかこちのブログ向けのないようになってしまったので転載しました。
 普段と一人称及びテンションが異なるのは無視してください。



 ハッハァッ!

 ちゃんと症状に合った薬を用法用量を守って服用したら、ほんの数時間ほど眠っただけで嘘みたいに楽になったぜ!
 ビバ! 薬の効きやすい俺の体質!
 まだ鼻の奥が焼け付きようにヒリヒリしてて息苦しいのは秘密だよ!



 だがしかし、深夜も二時を回ると暇だねぇ。
 テレビも興味のない番組しかやってねぇよ。

 プロレスでもやってりゃいい暇つぶしになるんだけれども、よくわからん海外のドラマとか、深夜アニメしかやってねぇや。

 仕方がないのでニコニコ動画でもチェックしてみると、初音ミクに『コンピューターおばあちゃん』を歌わせた動画がランクインしてたんで聴いてみた。

 するとなんでだろう……なんだかなきそうになった。
 不覚にも、おばあちゃんを大事にしたくなってしまった。

 機械の声なのに!

 結構有名だし、この日記を読む人にはわざわざ初音ミクの説明をする必要なんざないでしょうが、念のために説明しときましょう。
 『初音ミク』ってのは、ようはプログラムのことで、楽譜と歌詞を入力すると萌え系ボイスで曲を歌ってくれるらしいです。マクロスプラスのシャロン・アップルみたいなもんだと思えば概ねOKだと思います。さすが戦闘機をハッキングしたりは出来ないみたいですが。
 
 まぁ、説明はこんなところでいいでしょう。俺ってば基本ローテク人間なんで、かなりおざなりになってますが、そのあたりは勘弁してつかぁーさいね。

 さて、そんな機械の歌。
 一応声のサンプルは生身の人間なんだそうですが、旋律や声の繋ぎはあくまでプログラムによって再現しているわけですから、機械の歌といっても過言ではないでしょう。
 その機械の歌なのに、なぜだかたまにハッとさせられてしまう時があります。マシーンなのに。

 音楽やってる友人に言わせれば、優れた曲ってのは楽譜にかかれた段階で人を感動させられるそうですが、それにつけても『コンピューターおばあちゃん』で感動かよ……。
 ……いや、あれはあれでいい曲ですがね。

 しっかし、おそろしいですねえ。

 以前友人と初音ミクについて話した時、
「このまま化学が進歩したら、初音ミクみたいに歌うだけじゃなく、それこそ小説を書いちゃうようなプログラムが開発されるんじゃね?」
 なんてことを言ったことがあります。
 友人は、
「そこまでは無理やろ~」
 って、一笑に付してくれましたが、百年前には機械が初音ミクのように自然な歌を歌えるようになるなんて誰も想像だにしなかったわけですよね? 
 ということは、百年後にコンピュータが人間の領分である『創造的な活動』をモノにしていてもおかしくないんじゃないか、と思うのは俺の考えすぎなんでしょうか?

 いや、そもそも充分な演算能力さえあれば、小説を書くくらい機械でもわけないと俺は思います。

 ようはパターンですよ。パターン。

 あらゆる小説をコンピュータに記録して場面ごとにパターンのデータベースを作ることが出来れば、あとは人間が入力したプロットに応じてコンピュータが適当なパターンをチョイスしてくれる……この程度なら今の技術でもどうにかこうにか実現出来ちゃいそうな気がします。

 もっとも膨大な数に及ぶ小説のパターンをデータベース化するのは物凄いしんどそうですし、そもそもどういう基準で小説のパターンを決めるのかすら俺にはちっともわかりませんけどねぇ。
 
 そもそも、完全にロジックによって構成された文章が人間を感動させることが出来るのかって疑問もあります。

 確かに人間はパターンに弱い。

 これまた音楽やってる友人の受け売りですが、最近のヒット曲のコード進行を調べると、クラシックの名曲と同じだったりすることが結構あるんだそうです。

 つまり人を感動させるパターンは数百年前からさしたる変わりはない。
 
 これは何も音楽だけの話じゃなくて小説にもいえることで、いわゆるお約束、王道、つまるところベタってのは一番手っ取り早く人を感動させられる手段だし、物語のパターンが神話と昔話でその殆んどが出揃っているなんて話は、この日記を読んでる人には今さら説明する必要もないでしょう。

 パターンを積み重ねればそれなりの作品を作れる。
 これは多分間違いないでしょう。
 少なくともある程度は様になる作品になるはずです。

 では、それで感動できる作品になるのか?

 これは微妙なところですね。

 昔の作品。小説でも、映画でも、アニメでもなんでもいいので見てみると、その展開はかなり唐突です。ものすごいスピードで話が進んでいきます。
 これを俺なりに考えてみたところ、パターンの分化が原因ではないかと思い当たりました。

 今の作品のパターンはとても雑多です。

 例えばキャラクター。
 ツンデレのキャラクターを作品に出すならば、そのキャラの容姿、性格、言動、行動、事件に至るまでを描写して説明しなければいけません。そうしないと受け手側がそのキャラをツンデレキャラとは認識できなくなるのからです。
 もし、そのツンデレキャラがメインキャラならば、それらの要素を旨いことストーリーの本筋に絡めて描くことは充分可能だと思いますが、では脇役ならどうでしょうか?
 きっとキャラクターのキャラクター付けのために結構な量のページ数を割かなくてはなりません。

 つまり作品のベタな部分がベタであることの説明をしなくてはならないため、現在ではパターンのなかにパターンを内包することになってしまったわけです。
 それは、ある意味では作品に必要のない不純物であり、過去の作品群には存在し得なかった増えすぎたパターンともいえます。

 そんな増えすぎたパターン。

 俺は、そこにこそ現在の作品の面白さを決定付ける要因があると考えます。

 ツンデレキャラひとつ取ったって内包するパターンは様々です。
 幼さを前面に押し出したロリキャラのツンデレと、いいとこのお嬢様系ツンデレでは同じツンデレでも天と地の差があり、同じようなプロットを使っていようと出来上がる作品は全く印象が異なってしまいます。

 どのようなパターン内包させて作品を書くのか。

 その選択こそが作品の決定的な面白さ、ひいては感動できるか否かに関わってくるのだとおもいます。

 現状、そういった全てのチョイスの決定は人間のセンス頼りです。

 何をチョイスするか。
 簡単な様でいて、これほど難しいことはありません。

 いってしまえば、ただ言葉を綴るだけでチョイスの機会は発生します。
 若者向けの作品を書くのに、中年向けの言葉をチョイスしていたら、それは作品全体のバランスを崩すことにほかなりませんからね。

 もしどうしても中年向けの言葉使いをしたいのであるならば、それに応じて文体を変える必要がありますし、文体が変われば細かなシーンの構成が変わります。構成が変われば展開だって変わるわけで、展開が変われば設定を弄る必要があります。その結果、作品そのものが変質してしまうでしょう。

 どこまでがパターンの揺らぎとして許容範囲で、どこまでがそうではないのか。その判断をしつつも様々なパターンを盛り込んでいくのは至難の業で、そのバランス感覚こそをセンスと呼ぶのだと思います。

 そのセンスすらもデータベース化できるのならば、コンピュータが執筆した作品でも感動できると俺は思うのですが、さて、センスってどうやってデータベース化するんでしょうねぇ?

 単にデータベースの細分化を繰り返していけばその過程で数値化できるものなのか、あるいはデータベース化とは全く別次元の話なのか、はたまたセンスなんぞただの夢物語で俺が信じたいだけなのか。
 今の俺には判断つきません。

 なんだか考えれば考えるほどよくわからなくなってきます。

 だからこそ、パターンだけで構成されたロジック仕立ての作品で感動できるか否かの判断は、微妙なのです。
 
 
 ただ、どちらにしろ、多分俺が死んだ後の、今から百年以上経った未来ならば、文明の発展とともに実践としてその程度の答えは出てるでしょうね。

 だったら、これは俺の考えることじゃない。

 俺が考えるべきは、答えが俺の人生を豊かにしてくれるであろう問題だけです。バカの壁の養老孟司じゃないですが、死んだ後の話なんぞ知ったこっちゃないのです。

 人生有限。
 みなさんも、思考は有意義に使いましょうね!

 ……俺はちょっと無駄使いしすぎだけどさ。 
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鼻が詰まってて無駄に長くなりました。頑張って読んでくださいね。

 未だに体調が優れません。

 だったらブログの更新なんてすんなよ、って話ですが、寝てばっかりいても暇なのでしかたがないじゃないっ!
 それにまぁ、ネット繋げてパソコンから更新できるようになったんで、以前に比べるとそんなに面倒じゃなくなったしね。以前は長文打ち込む度に1時間近くかかってましたからねぇ。ほんと、パソコン入力は楽ですね。

 さて、以前、ケータイ小説はケータイというデバイスの影響をモロに受けているという主張をしましたが、パソコンでネットするようになって、その思いはより強固になりました。

 
 先日からこのブログを更新する時、頻繁に行を開けるようになったのに気付いてますか?

 以前ならば、よっぽど文章の内要が変わらない限り、基本的に行を空けて書くことなんてありませんでした。
 なぜなら、必要以上の行空けがなされた文章ってのは、携帯からだと非常に読み難く、また書き難かったからです。

 携帯の小さな画面ではほんの数行読んだだけで画面をスクロールさせないといけません。その時、頻繁に空白の行が入るような文章だと、必然的に携帯のキーを押す回数が増加してしまいます。
 これがなかなかにしち面倒くさくって。
 おかげさまで、僕の携帯電話。半年ちょっと前に買い換えた奴なんですが、決定キー周辺の塗装が既にボロボロはげかかっていますよ。

 そんなわけで、携帯向けの文章だと、基本的には詰めた文章の方が読みやすい。
 
 しかし、これがパソコンとなると、ちぃとわけが違ってきます。

 当然ですが、パソコンのディスプレイだと一度にたくさんの文字が表示されます。なので別に携帯と同じ書き方でいいと思うかもしれませんが、これがなかなかの曲者です。

 だって、パソコンは基本横書きなんですよ。

 みなさん、ここで英語で書かれた本を思い浮かべて見ましょう。
 ハリーポッターとかならよく本屋に洋書が転がってますし、一度くらいは手にとって見たことがあるでしょう。もしそういったものを見たことが無ければ英語の教科書でも構いません。

 さて、みなさんが思い浮かべた英語の本の行間は、どうなっていましたか?
 パソコンで表示されているものに比べたら、そうとう広かったのではないでしょうか。

 つまりはそういうことです。
 そもそも、横書きというのは、それなりの行間を必要とするわけです。その上、日本語というのは元来縦に文字を書きます。横に文字を綴るのに向いているアルファベットですら相当の行間を必要とするのに、それが日本語となるとかなりの行間が必要になります。

 ゆえに、パソコンで読みやすい文章をかくならば、適度に行間を空ける必要があるわけです。

 まぁ、もっとも、携帯からこのブログを読んでる人もいますし、基本的にある程度は頑張って文章を読んでくれる人を対象に書いているので、あくまで行を空けるのは最低限なんですけどね。
 
 大体、本気でパソコンから読みやすい文章を意識していたら、まず文体から変えますよ。僕の文体はセンテンスがちょいと長めなんで、最初からブログ向けじゃありませんからねぇ。

 そういうわけで、きょうはこのあたりで。
 ぐっない~。
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いつものことさ

 風邪ひきました。

 鼻水が止まりません。

 がっでむ~……。
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僕としては政治よりも眠気の方が優先だ。

 なんだか民主党と自民党で面倒なことになってますね。

 福田総理が密室で小沢代表に自民と民主の連立を持ちかけて、小沢代表が代表辞任の意思を表明して、民主党員がその引きとめにかかって…………はぁ~、めんどくせぇなぁ。

 まぁ、今の日本を引っ張る二大政党がくっつくかくっつかないかという、正に歴史の分岐点といえば分岐点なんだけど、庶民にはその実態が掴めなくてわけわかりません。
 会合は密室で開かれてるし、福田首相と小沢代表の意見は食い違ってるし、民主党の幹部たちも自民と連立したいのかしたくないのか意見がバラバラ。一体、事の主導権は誰が握ってるのか、情報番組経由のニュースではいくら見ててもちっとも判りません。
 政治の話って、国家という大規模な集合体の話を政治家という個人を通してしなきゃならないんで、いつもいつも焦点が定まらなくて、ほんとイライラしますよね。
 
 まぁ、だからといって子供向けアニメみたいに単純な国家だと、すぐに圧政になりそうでこまりもんですけどね。

 古いSFなんかでは、コンピューターに政治を任せた社会ってのがよく出てきますが、確かに、こんだけめんどくさいと政治なんざ機械に任せたくなりまあすよねぇ。
 善い悪いなんて置いといて、とにかくめんどくさかったから政治を機械任せにする。この調子で政治がめんどくさくなっていけば、近い未来の人類はマジでその選択をしかねないですよ。
 だって、人間の文明や化学ってのは、かなりの部分が『めんどくさい』をその発生点にしてるじゃないですか。立ち上がってチャンネル変えるのがめんどくさいからテレビのリモコンは発明されたんでしょう? 料理がめんどくさいから電子レンジなんでしょ? 食べるのが面倒だから栄養ドリンクなんでしょ? 歩くのが面倒だから車なんでしょ?
 だったら、政治が人の手におえないほど面倒くさくなれば、人は政治も機械化するんじゃないんですか? その方が楽だからという理由で。
 だからもう、人類に未来なんてないんですよ……きっと。


 なぁーんてね。
 上記の文章は途中から、僕が中学時代に考えていたことです。うん、実に思春期らしい気持ち悪い考えですね。
 ほんと、あの当時は考えが足りなかったなぁ。
 めんどくさいから、が人間を動かす重要な要素である。
 その考えの基本的なベクトルは間違っちゃいないと思いますが、人間が個人で違う趣向を持つ以上、何がめんどくさいのかもまた違うわけですよ。部屋の片付けすら面倒くさがる人もいれば、自分から進んでゴミ拾いのボランティアをする人もいるわけです。
 つまり、政治を面倒くさがらない人だって、この世には一定数存在するわけです。
 今の政治がテレビで観るだけでも面倒くさいのは、多分政治家たちが、政治を面倒くさがってるからだと思います。
 今の政治家たちを見れば判りますが、彼らの殆んどは二世、三世議員です。つまり、親の後を継いだから政治家なんであって、政治を面倒くさがらないという特殊な性癖をもった人たちだから政治家になったわけではないんです。
 もちろん二世、三世議員の中にも、政治を面倒くさがらない本物も少なからずいるでしょう。でも、かなりの人が、会社員になるよりも親の地盤を継いで政治家になったほうが生活するのに面倒くさくなかったから政治家になったんだと思いますよ。
 だって、好きで政治家やってんなら、もっと色んな動きをみせるはずでしょ?
 結局ダメなのは、政治化向きでない奴らが政治家になってる現状であって、ほんの一部でも政治化になりたいから政治家になった人達がいるならば、斜に構えて未来に嘆く必要もありません。まぁ、本当に政治家やりたくてやってる人がいるのかどうか知りませんけどね。



 あー、ねみぃ~。
 なんか纏まりに欠ける文章だった気がするけども、まぁ、それは毎度のことなんで、今夜はおやすみなさいです。
  
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コイバナ

 ふぃ~。
 一人で酒飲んだら深酒しちゃって案の定二日酔いだよ。
 幹事だったり、誰かの面倒見たりしなくていいってのはちとやばいね。自制心がちっとも働かねぇや。おまけに、自堕落な生活を正そうと思って決めたマイルール、ぐうたらしていいのは土日だけ、が仇となってしまい、ますます歯止めがきかなかったし。おかげで日曜の楽しみその1・スーパーヒーロータイムを見逃しましたよ。もちろん録画予約などしていません。がっでむ!

 ……まぁ、ホント言えば深酒した原因は別にそれだけじゃないんですがね。

 いやはや、昨日はほんと久々に楽しかった。
 鍋パーティーはもちろん、その後のプチ格ゲー大会。そしてその間のトーク。特に彼女持ちの友人を僕と祝くんでイジリまくったこととか。
 彼女持ちの彼は心底迷惑そうでしたが、ま、そこは彼女持ちにつきまとう義務みたいなもんなんで諦めてもらうしかないでしょう。ご愁傷さまです。

 しかし、恋愛かぁ。なんかここ六年ほどときめいてないなぁ。
 いや、ある意味じゃときめきまくりなんか?
 忘れたくても忘れられるような出来事じゃなかったもんな、あれは。

 いかんいかん、こんな無駄に開けた場所(ブログ)で恋話なんぞしてたまるかよ。前回、家のキッチンの狭さを軽く愚痴っただけで不動産関係からトラックバックの申し込みがありましたからねぇ。ま、怪しげなんで断わりましたけど。

 恋話は今度リアルで飲みにでも行った時に気が向けばするとして、ここは違う話をしましょう。


 巷ではケータイ小説の恋空が映画化されたりなんかして、微妙に話題になてるんだかなってないんだか、そんな感じですね。
 以前、恩師がケータイ小説について語った際、その特徴としてやたら純愛モノが多いと話していましたが、テレビの特集で恋空のあらすじを見た感じだと確かに純愛モノって雰囲気でした。
 しかしながら、純愛。
 純愛って、いちいちショッキングな出来事起こさないと書けないもんなんでしょうかねぇ?
 これまた恩師の言葉ですが、ケータイ小説を軽く調べるとショッキングな出来事こそ多いものの、それが本当に純愛モノに相応しいのか疑問の残る作品が多いんだそうです。恩師的には、単に純愛についてあまり考えてないからおこる現象だそうですが、ケータイ小説の書き手受け手両者の年齢が低いことを考えると、そうなんでしょうね。
 若者に考えが足りない。そんなのはいつの時代だってそうです(実際二十代前半の僕も日々自分の至らなさにイラ立っているわけですし……)。そんな考えの足りない若者が足りない考えを補うのって、メディアからの情報だと思うんですよ。小説をはじめ、テレビ、マンガ、ネットなどなど、そういったところからの情報が若者を構成するわけです。
 つまり、純愛について考えが浅い若者が育つ社会のメディアってのには、何らかの問題があるんじゃないでしょうか?

 純愛。
 純愛っていっても、誰もが小説化したらベストセラーになるようなドラマティックな恋愛をしてるわきゃないんですよ。その上、自分の恋話が大切な思い入れがあるならば、僕みたいに迂闊に周囲にそれをばら撒くわきゃない(といっても僕のは大して面白くもない話ですが)。小説を書けるだけのスキルを持ち、ベストセラーになるような大恋愛(しかも純愛に分類される)を体験し、それを世間に発表するような特異な精神を持ち合わせた人物が存在する確率。……なんだかものすごく低そうですね。まぁ、世間に溢れる物語の大半はフィクションなんでそんなの当たり前っちゃ当たり前ですがね。
 別にフィクションならフィクションで構わないんですよ。
 問題は、フィクションがどれだけ表題にそっているか、ということなんです。
 よく映画では、CMが良いシーンばかり繋いでるもんでCMだけ見りゃ事足りる、なんて状況が発生しますよね? それって大抵は表題で謳っている部分が本編にCM分しか入ってなかったから発生するんですよ。
 アクション映画なのに、見所のあるアクションシ-ンが。ホラー映画なのに怖いシーンが。恋愛映画なのに恋愛のシーンがCM分の時間しか入っていない。だからこそ、受け手は望むものを得られずに、CMで充分、という言葉を残すことになるんです。
 そういった表題とブレがある作品。大抵はツマラナイ作品ばかりで、基本的には無害です。でも、中には面白い作品もあります。そういった作品のヒットは、ブレた表題と共に受け手に伝わってしまう。そうなると、一番深刻な被害を受けるのが、考えの足りない若者です。アクション映画なのにホラーが、ホラー映画なのに恋愛が、恋愛映画なのにアクションが……といった具合に間違った要素を情報として受け取ってしまう。純愛モノにもこういう経緯があったのではないでしょうか?

 純愛モノのお約束である、不治の病にかかる恋人、という要素。これがケータイ小説に広まったのは、間違いなく世界の中心でアイを叫ぶ、の影響だと思います。セカチュー以前からも定番の展開っちゃーその通りなんですが、ケータイ小説を読み書きする層が若いことを考えると、時期的にセカチューが妥当でしょう。
 でも、考えてみると、そもそもこのお約束自体が、極めて不自然な要素なんですよ。
 大抵の死は予告なしにやってきます。テレビのニュース番組を観れば、説明するまでもないでしょう。今日もどこかで突発的な死に襲われて、最愛の人へ言葉を残す間もなく命を落した人が大量発生しています。最愛の人へ言葉を残せるだけでも幸いなのに、きちんと余命を宣告されて、恋人と愛を確かめ合いながら弱っていき、笑顔で死ぬなんて、奇跡中の奇跡です。
 そんな浮世離れした要素なのに、純愛モノの定番になってしまった。これは随分とおかしなことではないでしょうか?
 純愛ってのはひたむきな愛情のことですから、ひたむきさを強調できるのならばその障害は何でもいいわけです。別に不治の病なんて出す必要もない。それが流行っているのは、要はセカチューが純愛モノというラベル――表題を与えられ、それが若者に認知されたに過ぎないわけです。
 純愛=死という障害
 この等式が認知された以上、考えの足りない作り手としてはそれに基づいて純愛モノを書く必要が出てきます。そして幾つもの作品が発表される過程で、不治の病ばかりでは芸がないと様々な死のパターンが出てくるわけですね、不意の事故とか、戦地への召集といった形で。しかし、いずれはそれもネタがつきます。そうなると、今度は死以外の何かを求めるわけです。しかし死はあらゆる障害の中でも最上級のものです。ゆえに結果として、イジメ、レイプ、流産などなど、とにかく衝撃的な障害ばかりが乱立してくるわけです。
 ケータイ小説のおかしな純愛って、つまるところこういうメカニズムで生じるのではないか、と僕は考えます。

 考えが足りない若者。前述したようにそれはどの時代だって同じだと思います。
 ですが、今の時代は様々なメディアが出てきていて、人類史上未だかつてない状況です。若者が情報を得るメディアが、限られた書物と身近な人たちの話だけという時代ではありません。それだけに表題のブレというのは、実のところとても重大な問題なのではないでしょうか?
 

 
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飲む時は飲みたいの!

 男だらけの鍋パーティー(ポロリはないよ)だった。
 久々に合う面子で、先輩宅にて鍋を囲む。
 調理担当はもちろん僕。
 まぁ、二年ほど前に鍋パーティーやった時も僕が調理担当だったんで、そうなるだろうなぁとは思ってたし、友人とはいえ他人に作らせたものを食べるだけってのはどうにも性に合わないんで構わないけどね。

 問題は、先輩宅のキッチンの狭さ。
 先輩宅も、僕の家も、同系列の不動産やから紹介されているアパートだけど、正直キッチンが狭すぎる。いくら一人暮らし向けのアパートだからといって、あんなんじゃ自炊すらままならんて、マジで。というか、○ジックは自炊させるつもりないんじゃないのか? もしや、わざとキッチンの狭い物件を紹介することで、周囲にあるコンビニとかと提携したりして何らかのバックマージンを受け取っているのでは? なーんて疑いたくなる。まったく。

 そんな狭いキッチンで七人分の具材を切るのは、ただただ面倒臭かった。
 鍋そのものは楽しかったし、別にいいんだけれどね。

 むしろ問題なのは、酒。
 一缶七十円くらいという破格の値段の酒各種が、なんとアルコール度数0.3%という、いわゆるノンアルコール飲料……。
 アルコールの入ってないビールなんて、ただの苦い発泡水やんっ!
 鍋は面白かったけど、それだけはいただけなかったなぁ。
 まぁ、あの面子じゃ、酔うまで飲めたか怪しいけれど。でも、今日は飲むって決めてたんだ。飲むと決めた日に飲まないのはなんか気持ち悪い。そんなわけで、このブログを更新しながらて今酒飲んでます。
 やっぱ、安酒でもアルコールの熱さがちゃんとあるのはいいですね。
 今日は気持ち良く眠れそうだ。まっ、ここ数日は毎日快眠だけどね。
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僕らの日々は、ほとんど日常。

 昨日は迂闊にミステリなんか読んじゃって、うっかりぐったりしちゃったので、今日はマンガを読むことに決めた。
 そんなわけでチョイスしたのが、
 志村貴子作『青い花』
 内容を簡単に説明すっと、高校進学を機に再開した幼馴染を中心にした百合物語。
 そう、百合物語。
 出てくるのは九割女の子。でもって恋するのも女の子同士。ボーイ・ミーツ・ガールならぬガール・ミーツ・ガールなストーリー。わーお!
 まぁ、そんな表面上の目を引く設定は置いとくとして、僕的には心理描写が丁寧な面白いマンガだと思います。
 世の中にはレズフェチという、女の子同士がねっとりしっぽり絡んでねぇと興奮しないっていう僕にはよく解らない性癖の持ち主がいるみたいですが、そういう過激な部分は『青い花』にはありません。ただゆっくりと、同姓への恋の病に悩む少女たちの描写が進むだけ。ストーリーも、もどかしいくらいゆったり進んでいきますが、それが逆に良い感じ。やっぱり、恋愛を構成するのって大部分が日常なわけで、毎日がイベントばっかじゃないわけです。だから、日常を上手に描けている恋愛モノに外れはないと思います。
 ふぃー……なんだか『青い花』読んだらしんみりしちゃったぜ。
 昨日ぐったり、今日しんみり。
 ……やっぱ今日もチョイスミスったかな?
 しかたない。あらゐけいいち作『日常』の2巻でも読むか。
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