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建てては崩す日々

思ったことや心にもないことをボンヤリ綴る日記です。

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しかたがないので残った具は今日の昼飯に野菜と一緒に炒めました。

 お昼にブログ更新。

 疲れた時は雑文を書くに限るのです。
 たとえ、その疲れが文章を書いたことで生じていたとしても。

 

 さて、昨日は疲れてたので晩飯をコンビニ弁当にしたのですよ。

 んで、精が付く物を食おうと焼肉弁当を食ったのですが……残してしまいました……。
 ……っうぷ!

 なんかねぇ~、コンビニ弁当の節操の無い油が胃にくるのです。

 リアルで俺と何回も食事に行ってる人はご存知でしょうが、俺って油ギッシュな食い物って苦手なんですよ。焼肉とかいくと、シイタケとかがメインです。まぁ、名古屋出てきてから焼肉なんて数えるほどしか行ってないけどね。しかも一番最近行ったのは後輩がパチンコで勝って奢ってくれた時だったり。大分前だなぁ~。久々の肉だったんで頑張って美味しく頂きましたけどね。

 そんなわけなんで、もし僕に何かを奢ってくれるような状況になったら、焼肉よりも寿司がいいです。

 寿司ぷり~ず!
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TU・NA・MI・DA☆ZE!

 ふぅ~……疲れ気味です。

 作業がなかなかうまくいかなくて、四苦八苦しとります。

 気がついたら原稿用紙換算で二百枚近い文章を打ち込んでたりしてて、指の関節が意識しなくてもボキボキと、ボッキボッキと音を立てやがります。

 今やってる作業に学院時代のあれこれが活かせないわけではないのですが。ただ、基本的に僕ってあんまり器用じゃないので、幾度も失敗を繰り返さないとその活用法が見えてこないんです。

 我ながら難儀なもんです。

 学院時代は基本的に予習復習をやってたんで同級生に偉そげな発言できてましたが、本当のところ想定外の事態にはこんなにも弱いのですよ。ぎゃーす。

 いったい応用力って奴はどうやったら身につくんでしょうねぇ?

 今まで生きてきて、自分があんまり能力高くない事は身にしみて解っていたんで、出来る限り予習をやってきました。授業なんかは教科書とか予定表見りゃ先のこと判るんで、ぶっちゃけ応用力なんざ必要ないですからねぇ。でも、やっぱ本当に必要なのは先の見えない中での応用力じゃないですか。その力さえ身につけば怖いものなしなのになぁ。

 正直、今の状況は先が読めなくて大変です。

 バイトのようなものを始める時、最初はかなり軽い気持ちだったんですよ。学院時代にどういうことが出来るようになっていたのかはある程度把握していたんで、その能力内でどうにかなるだろうって。

 ところが話はとんとん拍子に進んでいき、瞬く間に状況は想定を大幅に超えることに……。余力を残しながら進めたかった作業は、全力を出さなければどうにもならなそうな難題になってました。

 まるで津波にさらわれてるような感じです。そこまで事態が大きくなると、どんなに波を読んでも読みきれない……。サーフボードにしがみ付くだけで精一杯です。

 果たして僕は浜辺に戻れるのでしょうか?

 下手すりゃ戻ってきた波に巻き込まれて大洋を漂うことになりかねませんが、はてさて。

 でもまぁ、今の波をなんとか乗りこなせたら、きっと物凄く気持ちいいんでしょうねぇ。

 どうせ体験するなら俄然後者ですね。ぐへへ。

 
 

 
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実感って何かやらないと得られないからなぁ~。

 疲れた。

 ここ一月ほどバイトのようなものをしてるわけですが、今日はそれの打ち合わせでした。

 打ち合わせ自体は別にいいんですよ。

 今回でもう三度目なんで大分慣れましたし、打ち合わせの内容自体も面白かったですしね。

 しいて問題をあげるとするならば、家から打ち合わせ先まで片道およそ一時間かかるということですか。

 まぁ、学院時代も似たようなものでしたが、旨いこと通勤通学ラッシュから外れてた当時と違って、今日の帰宅時はもろラッシュに遭遇。

 なもんで、非常に疲れました。



 それはともかく、そのバイトのようなものでちょっとした作業をやってるんですが、しみじみ感じるのは学院時代に学んだことがかなり役に立っているということですね。

 とりあえず基礎的なことは身に付いているので、なれないことでも応用を利かしてやれば、なんとか形に出来るんですよね。

 2年間で力がついていることは判っていましたが、こうやってそれを実感できるのはなかなかに爽快です。

 しかも、ただ実感できるだけではなく、あの時習ったあれはこういうときに使えばいいんだ、と新しい発見まである始末。

 素晴らしいですねぇ~。

 ほんと素晴らしいですねぇ~。

 ただ、一応仕事なので〆切があります。

 それがどうも週末。というか土日に被りまくりそうなので、12月はサークル活動に参加できるかどうか怪しくなってきました。

 ……まいったなぁ。
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文章って難しいよね

 前回はmixiで書いてる日記の転載だったわけですが、それにつけても原稿用紙換算で13枚。ちと長すぎますね。

 このブログを携帯から読んでいる人にとっては、さぞや読むのが面倒だったかと思います。

 まぁ、止めろといわれても止める気はあんまりないんですけどね。
 むしろ 気分がノればもっと長い文章を書いちゃいそうです。

 いや~、しっかし、パソコン入力は楽ですねぇ~。

 携帯で原稿用紙13枚分の文章を書くとなると、単純に打ち込んでる時間だけで三時間ぐらいかかっちゃいます。無論、頭の中で文章を練る時間を含めればそれ以上の時間がかかるわけですから、多分、書いてる途中で疲れ果てちゃいますよね。

 実際、携帯でブログを更新してた時は苦難の連続でした。

 携帯更新の頃から長文気味ではありましたが、携帯更新には2千文字という制限があったので常にそれを念頭に入れて書かなければいけませんでした。

 この制限ってのがかなり面倒で、千五百文字ほど打ち込んだところで、そのままだと制限字数内に収まらないことが発覚し、泣く泣く文章を削ったことが何度あったことか。

 おまけに携帯更新の弊害はそれだけじゃありません。

 携帯の記憶容量じゃ、文字入力画面からちょっと移動しただけで書いた文章がおじゃんになります。

 ほんのちょっとのキー操作ミスで千文字近くがパー。

 たかが千文字程度書き直せばいいじゃないかと思うかもしれませんが、携帯で千文字入力するのにかかる労力はパソコン入力時のものとは比べ物になりません。それが一瞬で消失してしまうのですから、モチベーションはガタ下がりです。おかげでどれだけの記事がお蔵入りになったことか……。

 そういうわけで、今はちょと浮かれてるのかもしれませんね。

 パソコンからなら、ちょっとやそっとじゃ制限文字数は超えませんし、入力速度も速いし、画面も見やすいし……。

 もちろん、パソコン入力もパソコン入力なりに気を使うところもありますが(前々回参照)、そんなもの携帯入力の多大なるストレスに比べれば無いも同然です。

 ですが、だからといってむやみやたらに長文を書くだけではあまりに情けありません。

 長文を書くのなら、分かり易く、読み易い文章を心がけなければ。

 前回の13枚はちょいと雑すぎました。

 だって心赴くままに書き殴っただけなんですもん。

 まともな誤字脱字チェックも推敲も一切無し。
 こんなんじゃ、小説の文体にも悪影響が出るのは明らかです。

 そういうわけなんで、僕が読みにくい長文を書いたときは気軽に指摘してくださいね♪
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コイバナ

 ふぃ~。
 一人で酒飲んだら深酒しちゃって案の定二日酔いだよ。
 幹事だったり、誰かの面倒見たりしなくていいってのはちとやばいね。自制心がちっとも働かねぇや。おまけに、自堕落な生活を正そうと思って決めたマイルール、ぐうたらしていいのは土日だけ、が仇となってしまい、ますます歯止めがきかなかったし。おかげで日曜の楽しみその1・スーパーヒーロータイムを見逃しましたよ。もちろん録画予約などしていません。がっでむ!

 ……まぁ、ホント言えば深酒した原因は別にそれだけじゃないんですがね。

 いやはや、昨日はほんと久々に楽しかった。
 鍋パーティーはもちろん、その後のプチ格ゲー大会。そしてその間のトーク。特に彼女持ちの友人を僕と祝くんでイジリまくったこととか。
 彼女持ちの彼は心底迷惑そうでしたが、ま、そこは彼女持ちにつきまとう義務みたいなもんなんで諦めてもらうしかないでしょう。ご愁傷さまです。

 しかし、恋愛かぁ。なんかここ六年ほどときめいてないなぁ。
 いや、ある意味じゃときめきまくりなんか?
 忘れたくても忘れられるような出来事じゃなかったもんな、あれは。

 いかんいかん、こんな無駄に開けた場所(ブログ)で恋話なんぞしてたまるかよ。前回、家のキッチンの狭さを軽く愚痴っただけで不動産関係からトラックバックの申し込みがありましたからねぇ。ま、怪しげなんで断わりましたけど。

 恋話は今度リアルで飲みにでも行った時に気が向けばするとして、ここは違う話をしましょう。


 巷ではケータイ小説の恋空が映画化されたりなんかして、微妙に話題になてるんだかなってないんだか、そんな感じですね。
 以前、恩師がケータイ小説について語った際、その特徴としてやたら純愛モノが多いと話していましたが、テレビの特集で恋空のあらすじを見た感じだと確かに純愛モノって雰囲気でした。
 しかしながら、純愛。
 純愛って、いちいちショッキングな出来事起こさないと書けないもんなんでしょうかねぇ?
 これまた恩師の言葉ですが、ケータイ小説を軽く調べるとショッキングな出来事こそ多いものの、それが本当に純愛モノに相応しいのか疑問の残る作品が多いんだそうです。恩師的には、単に純愛についてあまり考えてないからおこる現象だそうですが、ケータイ小説の書き手受け手両者の年齢が低いことを考えると、そうなんでしょうね。
 若者に考えが足りない。そんなのはいつの時代だってそうです(実際二十代前半の僕も日々自分の至らなさにイラ立っているわけですし……)。そんな考えの足りない若者が足りない考えを補うのって、メディアからの情報だと思うんですよ。小説をはじめ、テレビ、マンガ、ネットなどなど、そういったところからの情報が若者を構成するわけです。
 つまり、純愛について考えが浅い若者が育つ社会のメディアってのには、何らかの問題があるんじゃないでしょうか?

 純愛。
 純愛っていっても、誰もが小説化したらベストセラーになるようなドラマティックな恋愛をしてるわきゃないんですよ。その上、自分の恋話が大切な思い入れがあるならば、僕みたいに迂闊に周囲にそれをばら撒くわきゃない(といっても僕のは大して面白くもない話ですが)。小説を書けるだけのスキルを持ち、ベストセラーになるような大恋愛(しかも純愛に分類される)を体験し、それを世間に発表するような特異な精神を持ち合わせた人物が存在する確率。……なんだかものすごく低そうですね。まぁ、世間に溢れる物語の大半はフィクションなんでそんなの当たり前っちゃ当たり前ですがね。
 別にフィクションならフィクションで構わないんですよ。
 問題は、フィクションがどれだけ表題にそっているか、ということなんです。
 よく映画では、CMが良いシーンばかり繋いでるもんでCMだけ見りゃ事足りる、なんて状況が発生しますよね? それって大抵は表題で謳っている部分が本編にCM分しか入ってなかったから発生するんですよ。
 アクション映画なのに、見所のあるアクションシ-ンが。ホラー映画なのに怖いシーンが。恋愛映画なのに恋愛のシーンがCM分の時間しか入っていない。だからこそ、受け手は望むものを得られずに、CMで充分、という言葉を残すことになるんです。
 そういった表題とブレがある作品。大抵はツマラナイ作品ばかりで、基本的には無害です。でも、中には面白い作品もあります。そういった作品のヒットは、ブレた表題と共に受け手に伝わってしまう。そうなると、一番深刻な被害を受けるのが、考えの足りない若者です。アクション映画なのにホラーが、ホラー映画なのに恋愛が、恋愛映画なのにアクションが……といった具合に間違った要素を情報として受け取ってしまう。純愛モノにもこういう経緯があったのではないでしょうか?

 純愛モノのお約束である、不治の病にかかる恋人、という要素。これがケータイ小説に広まったのは、間違いなく世界の中心でアイを叫ぶ、の影響だと思います。セカチュー以前からも定番の展開っちゃーその通りなんですが、ケータイ小説を読み書きする層が若いことを考えると、時期的にセカチューが妥当でしょう。
 でも、考えてみると、そもそもこのお約束自体が、極めて不自然な要素なんですよ。
 大抵の死は予告なしにやってきます。テレビのニュース番組を観れば、説明するまでもないでしょう。今日もどこかで突発的な死に襲われて、最愛の人へ言葉を残す間もなく命を落した人が大量発生しています。最愛の人へ言葉を残せるだけでも幸いなのに、きちんと余命を宣告されて、恋人と愛を確かめ合いながら弱っていき、笑顔で死ぬなんて、奇跡中の奇跡です。
 そんな浮世離れした要素なのに、純愛モノの定番になってしまった。これは随分とおかしなことではないでしょうか?
 純愛ってのはひたむきな愛情のことですから、ひたむきさを強調できるのならばその障害は何でもいいわけです。別に不治の病なんて出す必要もない。それが流行っているのは、要はセカチューが純愛モノというラベル――表題を与えられ、それが若者に認知されたに過ぎないわけです。
 純愛=死という障害
 この等式が認知された以上、考えの足りない作り手としてはそれに基づいて純愛モノを書く必要が出てきます。そして幾つもの作品が発表される過程で、不治の病ばかりでは芸がないと様々な死のパターンが出てくるわけですね、不意の事故とか、戦地への召集といった形で。しかし、いずれはそれもネタがつきます。そうなると、今度は死以外の何かを求めるわけです。しかし死はあらゆる障害の中でも最上級のものです。ゆえに結果として、イジメ、レイプ、流産などなど、とにかく衝撃的な障害ばかりが乱立してくるわけです。
 ケータイ小説のおかしな純愛って、つまるところこういうメカニズムで生じるのではないか、と僕は考えます。

 考えが足りない若者。前述したようにそれはどの時代だって同じだと思います。
 ですが、今の時代は様々なメディアが出てきていて、人類史上未だかつてない状況です。若者が情報を得るメディアが、限られた書物と身近な人たちの話だけという時代ではありません。それだけに表題のブレというのは、実のところとても重大な問題なのではないでしょうか?
 

 
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