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建てては崩す日々

思ったことや心にもないことをボンヤリ綴る日記です。

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気が付けば今月三冊しか本読んでねぇよ。

 久々の更新。

 今日はバイトのようなものの打ち合わせでした。

 都合上、打ち合わせの内容は明かせませんが、頑張って作業した甲斐があって、相手側には割と好印象だったようでひと安心。

 ただ、ちょいとやり過ぎた部分があったんで、今度はその部分を削ったりしなくてはなりません。まぁ、前回までの学院で身につけた技術を活かしにくい作業とは違い、今度は直接技術を活かせるんで楽ではありますがね。

 次の〆切までは余裕があるので、じっくりと仕上げられそうです。



 さて、打ち合わせからの帰り道、本屋へ寄りました。

 ここ最近は近所のTUTAYAにあるお情け程度の書籍コーナーにしか行けてなかったんで、どんな新刊が出てるのかワクワクです。

 胸をときめかせながら新刊コーナーに足を運ぶと、ある一冊の本が!

 『旅の途中』 スピッツ著

 スピッツちょーーーーっ!!!

 スピッツとは今年でデビュー20周年の日本を代表するロックバンドのあのスピッツです!

 スピッツは中学時代からのマイフェイバリットアーティスト。これは買わねばなるまいて!

 そんなこんなで、『旅の途中』と創元推理文庫の期待の新人・似鳥鶏『理由あって冬に出る』の二冊を購入してきました。

 帰りの電車で『旅の途中』をちょっと読んだんですが、冗談抜きでスピッツのメンバーが執筆してるみたいです。ものっそい簡素な文体が明らかに素人。
 いくら好きなアーティストでもそんな調子じゃ読む気がなくなります。がしかし、編集の仕方がちゃんと考えてあって、ただだらだらと一人一人の自伝が続くんではなく、上京時、バンド結成時、デビュー時などという具合に出来事が時系列順に並んでいて、その時各メンバーがどんな思いを抱いていたのかを数ページずつ書いていく、という内容になっていて非常に読みやすいです。

 より突っ込んだ感想についてはまた後日ということで、んだらば!
  



 

 
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倒れたって何度でも立ち上がればいいのさ。

 ふぅ~……。

 バイトのようなものの作業がなかなかにしんどいです。

 何がしんどいかってーと、学院で習わなかったことをするのがしんどい。

 昨日書いたように、学院で学んだことは現在の作業にかなり応用できます。

 しかし、今回は前回までと違って、より小説とは異なる部分を求められているのです。

 もちろん、2年間学んだことの応用は利きます。

 利きますが、その度合いは著しく下がってしまいました。

 やってやれないことは無いんですが、だからこそ僕自身の地力が試されてるみたいで…………俄然やる気が出てきました。



 昔から僕ってテストとか好きだったんですよね。

 勉強が好きなんじゃなくて、テストが。

 あの試されてる感が堪らなくワクワクします。

 試されてるってことは、相手に見下されてることと同じだと思うんですよ。

 それってムカつきますよね?

 だから僕は相手の鼻を明かしたくなるんです。



 我ながら無闇な反発心だなぁと呆れますが、それが向上心に繋がってるんなら大いに結構ですよね。

 この反発心が下手に暴力とか、イカサマといった脇道にそれちゃうとマイナスですが、正攻法で立ち向かってるうちはやる気の源になるんですから間違いなくプラスでしょう。

 むしろ、反発心を抱けない時。打ちひしがれてしまった状態。これは本気でまずいですよね。

 ぶっちゃけ、今の作業に取り掛かる前、二度ほどテストのようなものを受けてるんですが、途中何度かその手前まで行きそうになりましたよ。

 数度の打ち合わせで、今でこそ学院時代の教えを応用していけばいいのだと確信が持てていますが、その時は作業が順調に進んでいても、いまいちそれでいいのか判らなかったんですよ。



 そんな自分を信じられなくて打ちひしがれそうになった時、皆さんはどうするでしょうか?



 僕はこういう時、必ずあるネット小説を読んでいます。

 その小説は、数年前に僕がネット上で発見した、有名でもなんでもないドマイナーな作品なのですが、作者が素人であることが信じられないくらい出来が物凄くいいんですよ。

 当時はネット小説出身の作家が話題になっていた時期でした。滝本竜彦とか、米澤穂信とかですね。

 なもんで、僕は情報収集としてネット小説を読み漁っていました。多分、ショートショートクラスの短い作品まで数えれば数百作品は読んだと思います。

 そんななかで僕が知ったのは、ツマラナイ作品になればなるほど没個性化が進んでいるということでした。

 例えば判りやすいのは二次創作系の作品です。
 人気キャラには、大抵幾つか定番のネタがあって、どれもこれもその定番のネタを中心に描いているんですね。
 もちろん、文章力には個人個人で確たる差があるので、それこそ台詞の羅列しかないような作品もあれば、見事な流れで僕をあっと言わせてくれるような作品もありました。ただ、殆んどの作品が首を傾げたくなるような出来だったように思います。

 結局、テーマじゃなくて、キャラクターとシチュエーションを書くことに終始しているって感じでした。その傾向はオリジナル作品でも確実にあって、特殊な設定やらが出てきてもそれをストーリーに絡めようとはしてないんです。

 ネット小説は商業小説よりも自由ですが、結局それゆえに束縛がきついんですよね。

 例えば、TSというジャンルがあります。
 TSとはトランス・セクシャルの略で、簡単に説明すると主人公が科学的、超自然的な力で性別が変わってしまうという特殊な状況に特化したジャンルです。特殊な設定ではありますが、この性転換という設定は『らんま1/2』という有名作も生み出してますし、『転校生』といういわゆる入れ替わりモノも含みます。それどころか1話完結のギャグマンガなどでは、1話限りのネタとして割と頻出してもいます。ある意味、記憶喪失並みにメジャーな設定です。

 そのTSに特化した小説投稿サイトがあるのですが、そこは正に没個性の極みでした。

 主人公が目覚めるとなぜか女の子になっている。
 そして主人公には決まって娘や姉妹がほしかったという家族がいて、服の準備や女性特有のあれこれについてのフォローを完璧にやってくれる。
 最終的に主人公は女性として生きて行くことを受け入れる。

 殆んどの作品がこんな調子でした。

 どう考えても不自然ですよね。

 性別が変わる。そんな大事件なのに殆んど苦悩しない主人公は人間としておかし過ぎるでしょう。いくら展開の進め方が巧かろうと、女性化の謎が秀逸だろうと、その不自然さが僕にはどうしても引っかかってしまいました。

 そのサイトにおいて僕が面白いと思った作品は、どれもこれも上記のTS小説の定番を外したものばかりだったのを憶えています。

 なかでも、ある作品には強く惹かれました。

 その作品の主人公は、女性化に拒絶反応を示します。しかもただの拒絶ではなく、一時は発狂しかかるほどの強い拒絶をです。
 それだけでも十分にセオリー破りなのですが、ではどうして作者はセオリーを破れたのか。

 その答えは作品の後半にありました。

 一時は発狂寸前にまでおちいった主人公です。日常生活すら覚束ないのに、その他多くの作品のようにすんなりと女性としての人生を謳歌できるはずがありません。ゆえにこの作品では恋愛ではなく友愛がテーマになっていて、家族や友人の助けによって立ち直り、主人公が最低限人並みの生活が出来るようになるまでが描かれていました。そのテーマこそが、きっと作者にセオリー破りをさせた理由なのでしょう。

 そして、すごいのはそれだけではありませんでした。
 いちいち描写が素晴らしいんですよ。バスケットコートで、男だった頃には出来たダンクシュートが女になって出来なくなったことを知り、過去と現在が決定的に断絶してしまったことを実感して打ちひしがれる主人公。その時の内面描写には読んでいて胸に熱くこみ上げるものがありました。そして、そんな主人公を助ける友人たちの描写にも。

 作品の完成度もさることながら、苦悩しながら生きていく主人公の様は、はっきりいって僕の書きたい作品の理想でもありました。

 だから、僕は打ちひしがれそうになった時は、その作品を読みます。

 自分の理想を再確認するために。
 理想は存在しているのだと、確信するために。

 そして、その作品をいつか越えるべき壁として設定し、無理矢理にでも反発心を燃え上がらせるのです。



 多分後数年は、この作品を超えられないでしょう。

 しかし、残念に思う必要は皆無です。

 だって、少なくとも後数年間、僕は頑張れるってことですからね。
 
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秋の夜長に思考の迷宮で迷子になる病人。

※注
 mixiの日記を書いたら、なんだかこちのブログ向けのないようになってしまったので転載しました。
 普段と一人称及びテンションが異なるのは無視してください。



 ハッハァッ!

 ちゃんと症状に合った薬を用法用量を守って服用したら、ほんの数時間ほど眠っただけで嘘みたいに楽になったぜ!
 ビバ! 薬の効きやすい俺の体質!
 まだ鼻の奥が焼け付きようにヒリヒリしてて息苦しいのは秘密だよ!



 だがしかし、深夜も二時を回ると暇だねぇ。
 テレビも興味のない番組しかやってねぇよ。

 プロレスでもやってりゃいい暇つぶしになるんだけれども、よくわからん海外のドラマとか、深夜アニメしかやってねぇや。

 仕方がないのでニコニコ動画でもチェックしてみると、初音ミクに『コンピューターおばあちゃん』を歌わせた動画がランクインしてたんで聴いてみた。

 するとなんでだろう……なんだかなきそうになった。
 不覚にも、おばあちゃんを大事にしたくなってしまった。

 機械の声なのに!

 結構有名だし、この日記を読む人にはわざわざ初音ミクの説明をする必要なんざないでしょうが、念のために説明しときましょう。
 『初音ミク』ってのは、ようはプログラムのことで、楽譜と歌詞を入力すると萌え系ボイスで曲を歌ってくれるらしいです。マクロスプラスのシャロン・アップルみたいなもんだと思えば概ねOKだと思います。さすが戦闘機をハッキングしたりは出来ないみたいですが。
 
 まぁ、説明はこんなところでいいでしょう。俺ってば基本ローテク人間なんで、かなりおざなりになってますが、そのあたりは勘弁してつかぁーさいね。

 さて、そんな機械の歌。
 一応声のサンプルは生身の人間なんだそうですが、旋律や声の繋ぎはあくまでプログラムによって再現しているわけですから、機械の歌といっても過言ではないでしょう。
 その機械の歌なのに、なぜだかたまにハッとさせられてしまう時があります。マシーンなのに。

 音楽やってる友人に言わせれば、優れた曲ってのは楽譜にかかれた段階で人を感動させられるそうですが、それにつけても『コンピューターおばあちゃん』で感動かよ……。
 ……いや、あれはあれでいい曲ですがね。

 しっかし、おそろしいですねえ。

 以前友人と初音ミクについて話した時、
「このまま化学が進歩したら、初音ミクみたいに歌うだけじゃなく、それこそ小説を書いちゃうようなプログラムが開発されるんじゃね?」
 なんてことを言ったことがあります。
 友人は、
「そこまでは無理やろ~」
 って、一笑に付してくれましたが、百年前には機械が初音ミクのように自然な歌を歌えるようになるなんて誰も想像だにしなかったわけですよね? 
 ということは、百年後にコンピュータが人間の領分である『創造的な活動』をモノにしていてもおかしくないんじゃないか、と思うのは俺の考えすぎなんでしょうか?

 いや、そもそも充分な演算能力さえあれば、小説を書くくらい機械でもわけないと俺は思います。

 ようはパターンですよ。パターン。

 あらゆる小説をコンピュータに記録して場面ごとにパターンのデータベースを作ることが出来れば、あとは人間が入力したプロットに応じてコンピュータが適当なパターンをチョイスしてくれる……この程度なら今の技術でもどうにかこうにか実現出来ちゃいそうな気がします。

 もっとも膨大な数に及ぶ小説のパターンをデータベース化するのは物凄いしんどそうですし、そもそもどういう基準で小説のパターンを決めるのかすら俺にはちっともわかりませんけどねぇ。
 
 そもそも、完全にロジックによって構成された文章が人間を感動させることが出来るのかって疑問もあります。

 確かに人間はパターンに弱い。

 これまた音楽やってる友人の受け売りですが、最近のヒット曲のコード進行を調べると、クラシックの名曲と同じだったりすることが結構あるんだそうです。

 つまり人を感動させるパターンは数百年前からさしたる変わりはない。
 
 これは何も音楽だけの話じゃなくて小説にもいえることで、いわゆるお約束、王道、つまるところベタってのは一番手っ取り早く人を感動させられる手段だし、物語のパターンが神話と昔話でその殆んどが出揃っているなんて話は、この日記を読んでる人には今さら説明する必要もないでしょう。

 パターンを積み重ねればそれなりの作品を作れる。
 これは多分間違いないでしょう。
 少なくともある程度は様になる作品になるはずです。

 では、それで感動できる作品になるのか?

 これは微妙なところですね。

 昔の作品。小説でも、映画でも、アニメでもなんでもいいので見てみると、その展開はかなり唐突です。ものすごいスピードで話が進んでいきます。
 これを俺なりに考えてみたところ、パターンの分化が原因ではないかと思い当たりました。

 今の作品のパターンはとても雑多です。

 例えばキャラクター。
 ツンデレのキャラクターを作品に出すならば、そのキャラの容姿、性格、言動、行動、事件に至るまでを描写して説明しなければいけません。そうしないと受け手側がそのキャラをツンデレキャラとは認識できなくなるのからです。
 もし、そのツンデレキャラがメインキャラならば、それらの要素を旨いことストーリーの本筋に絡めて描くことは充分可能だと思いますが、では脇役ならどうでしょうか?
 きっとキャラクターのキャラクター付けのために結構な量のページ数を割かなくてはなりません。

 つまり作品のベタな部分がベタであることの説明をしなくてはならないため、現在ではパターンのなかにパターンを内包することになってしまったわけです。
 それは、ある意味では作品に必要のない不純物であり、過去の作品群には存在し得なかった増えすぎたパターンともいえます。

 そんな増えすぎたパターン。

 俺は、そこにこそ現在の作品の面白さを決定付ける要因があると考えます。

 ツンデレキャラひとつ取ったって内包するパターンは様々です。
 幼さを前面に押し出したロリキャラのツンデレと、いいとこのお嬢様系ツンデレでは同じツンデレでも天と地の差があり、同じようなプロットを使っていようと出来上がる作品は全く印象が異なってしまいます。

 どのようなパターン内包させて作品を書くのか。

 その選択こそが作品の決定的な面白さ、ひいては感動できるか否かに関わってくるのだとおもいます。

 現状、そういった全てのチョイスの決定は人間のセンス頼りです。

 何をチョイスするか。
 簡単な様でいて、これほど難しいことはありません。

 いってしまえば、ただ言葉を綴るだけでチョイスの機会は発生します。
 若者向けの作品を書くのに、中年向けの言葉をチョイスしていたら、それは作品全体のバランスを崩すことにほかなりませんからね。

 もしどうしても中年向けの言葉使いをしたいのであるならば、それに応じて文体を変える必要がありますし、文体が変われば細かなシーンの構成が変わります。構成が変われば展開だって変わるわけで、展開が変われば設定を弄る必要があります。その結果、作品そのものが変質してしまうでしょう。

 どこまでがパターンの揺らぎとして許容範囲で、どこまでがそうではないのか。その判断をしつつも様々なパターンを盛り込んでいくのは至難の業で、そのバランス感覚こそをセンスと呼ぶのだと思います。

 そのセンスすらもデータベース化できるのならば、コンピュータが執筆した作品でも感動できると俺は思うのですが、さて、センスってどうやってデータベース化するんでしょうねぇ?

 単にデータベースの細分化を繰り返していけばその過程で数値化できるものなのか、あるいはデータベース化とは全く別次元の話なのか、はたまたセンスなんぞただの夢物語で俺が信じたいだけなのか。
 今の俺には判断つきません。

 なんだか考えれば考えるほどよくわからなくなってきます。

 だからこそ、パターンだけで構成されたロジック仕立ての作品で感動できるか否かの判断は、微妙なのです。
 
 
 ただ、どちらにしろ、多分俺が死んだ後の、今から百年以上経った未来ならば、文明の発展とともに実践としてその程度の答えは出てるでしょうね。

 だったら、これは俺の考えることじゃない。

 俺が考えるべきは、答えが俺の人生を豊かにしてくれるであろう問題だけです。バカの壁の養老孟司じゃないですが、死んだ後の話なんぞ知ったこっちゃないのです。

 人生有限。
 みなさんも、思考は有意義に使いましょうね!

 ……俺はちょっと無駄使いしすぎだけどさ。 
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鼻が詰まってて無駄に長くなりました。頑張って読んでくださいね。

 未だに体調が優れません。

 だったらブログの更新なんてすんなよ、って話ですが、寝てばっかりいても暇なのでしかたがないじゃないっ!
 それにまぁ、ネット繋げてパソコンから更新できるようになったんで、以前に比べるとそんなに面倒じゃなくなったしね。以前は長文打ち込む度に1時間近くかかってましたからねぇ。ほんと、パソコン入力は楽ですね。

 さて、以前、ケータイ小説はケータイというデバイスの影響をモロに受けているという主張をしましたが、パソコンでネットするようになって、その思いはより強固になりました。

 
 先日からこのブログを更新する時、頻繁に行を開けるようになったのに気付いてますか?

 以前ならば、よっぽど文章の内要が変わらない限り、基本的に行を空けて書くことなんてありませんでした。
 なぜなら、必要以上の行空けがなされた文章ってのは、携帯からだと非常に読み難く、また書き難かったからです。

 携帯の小さな画面ではほんの数行読んだだけで画面をスクロールさせないといけません。その時、頻繁に空白の行が入るような文章だと、必然的に携帯のキーを押す回数が増加してしまいます。
 これがなかなかにしち面倒くさくって。
 おかげさまで、僕の携帯電話。半年ちょっと前に買い換えた奴なんですが、決定キー周辺の塗装が既にボロボロはげかかっていますよ。

 そんなわけで、携帯向けの文章だと、基本的には詰めた文章の方が読みやすい。
 
 しかし、これがパソコンとなると、ちぃとわけが違ってきます。

 当然ですが、パソコンのディスプレイだと一度にたくさんの文字が表示されます。なので別に携帯と同じ書き方でいいと思うかもしれませんが、これがなかなかの曲者です。

 だって、パソコンは基本横書きなんですよ。

 みなさん、ここで英語で書かれた本を思い浮かべて見ましょう。
 ハリーポッターとかならよく本屋に洋書が転がってますし、一度くらいは手にとって見たことがあるでしょう。もしそういったものを見たことが無ければ英語の教科書でも構いません。

 さて、みなさんが思い浮かべた英語の本の行間は、どうなっていましたか?
 パソコンで表示されているものに比べたら、そうとう広かったのではないでしょうか。

 つまりはそういうことです。
 そもそも、横書きというのは、それなりの行間を必要とするわけです。その上、日本語というのは元来縦に文字を書きます。横に文字を綴るのに向いているアルファベットですら相当の行間を必要とするのに、それが日本語となるとかなりの行間が必要になります。

 ゆえに、パソコンで読みやすい文章をかくならば、適度に行間を空ける必要があるわけです。

 まぁ、もっとも、携帯からこのブログを読んでる人もいますし、基本的にある程度は頑張って文章を読んでくれる人を対象に書いているので、あくまで行を空けるのは最低限なんですけどね。
 
 大体、本気でパソコンから読みやすい文章を意識していたら、まず文体から変えますよ。僕の文体はセンテンスがちょいと長めなんで、最初からブログ向けじゃありませんからねぇ。

 そういうわけで、きょうはこのあたりで。
 ぐっない~。
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ピンチはチャンスだ!(作者的に)

 レンタルマギカの新刊を読んでみた。
 レンタルマギカはタイトル通り、魔法使いを派遣する会社の話で、作中に出てくる魔法のその殆んどがちゃんと伝承にのっとったものをアレンジしているため、読んでて面白い。神道が究極の清めの魔法だったり、魔法使いの強さ=血筋の優秀さが絶対だったりとね。
 魔法、といっても、現在ラノベやマンガ、アニメに出てくるものは、お伽噺に出てくるような何でもできる不思議パワーじゃないよね。ちゃんと制約があり、時にはリスクすらある。
 まぁ、考えてみりゃ当然で、強すぎる力を主人公に与えちゃうと物語は回らなくなりますからねぇ。

 どんな強敵も魔法であっさり撃退し、好きな人ができたら魔法で虜にする。大切な人が死んだら死んだで魔法を使って簡単に復活。金も地位も名誉も愛すらも思うがままで、あらゆることに困ることはなく、ただひたすらに楽しい生活をおくっていく主人公。

 ……こんな話、一体だれが読みたがるのやら。もはやギャグにすらなってないですよね。
 結局、人は物語に触れる時、結果よりも過程を楽しむもんです。主人公ってのは殆んどの作品で最終的な勝利を約束されているわけですから、重要なのはどうやって勝つのか、です。
 そうかんがえるとレンタルマギカはやっぱり面白い。
 レンタルマギカの主人公は魔法使いにすら感じられはしても見ることは出来ない魔力の流れを見ることが出来ます。それによって、敵の使う魔法の種類や範囲、弱点を見極められ、戦闘時は有能な指揮官になれます。ただし、その力は肉体への負担が大きく多用はできず、また主人公自体は魔法使いじゃないので攻撃出来ません。
 そのため、作中のクライマックスへの流れはバラバラの場所にいる仲間達がいかにして主人公の下に集まるのかがメインになります。ただし、仲間達は皆使う魔法の系統が違い、それによって得手不得手も異なるため、場合によっては全員集まらなくても戦闘に勝てたりします。つまり、読んでる側にとっては誰と誰が集まれば勝てるのか分からないため、毎回ドキドキハラハラするわけです。
 おまけに近頃では主人公が能力をフルに使わなくても良いような戦い方を心掛けるようになったので、ますますワクワクが止まりません。
 巫女服のままランドセル背負っててツインテールで主人公に甘えてくるロリっ娘とか、キャラ設定はちぃとあざとい気もしますが、ストーリーが面白けりゃそんなん関係ないですよね。

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